9月17日は敬老の日。敬老の日生まれ(2002年=平成14年までは毎年9月15日)の田舎の婆ちゃんに久々に電話をして「誕生日おめでとうと」伝えました。相変わらず元気そうな婆ちゃん。そんな婆ちゃんの好物がフライドチキンなんです。 笑

 

フライドチキンといえばケンタッキー。創業者であるカーネル・サンダースであることは誰もが知っていますが、彼がどれだけ苦労を重ねて起業を成功させたのか、あまり知られてません。父のいない家庭で育ったサンダース。家を助けるため10才から働きに出、農場、市電車掌、判事助手、保険外交員、フェリーボート会社、タイヤのセールス、機関車修理工、ボイラー技士、機関助士など40種類もの仕事を経験したそうです。

彼が初めて起業したのは30代後半。ガソリンスタンドでの起業でした。その後、ガソリンスタンドの一角を改装し、たった6席の小さなレストラン「サンダース・カフェ」を開きました。経営は苦しかったものの、「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」というサンダースの信念は揺らがなかったそうです。そんなカーネル・サンダースは大きな問題を抱えていました。彼の親友であったピート・ハーマンはこう言っています。

 

「カーネルの問題は、惜しみなく、お金やものを与えすぎることだった」【出典:ひすいこうたろう なぜジョブスは黒いタートルネックしか着なかったのか】

 

きっと、彼ぐらいお金持ちだったら人のために使うなんて簡単やん。と思うかもしれませんが、そうでは無いんです。彼は貧乏だった頃から毎月収入の数%を寄附していたのです。テレビに出るようになっても出演料をすべて大学に寄附したり、自伝の印税を全額病院に寄附したそうです。

ある時、「サンダース・カフェ」のあった町に大きな孤児院がありました。この施設が困窮し経営が出来なくなりました。カーネル・サンダースは寄附を申し出ましたが、必要額は彼が出せる額ではありませんでした。彼は「自分が助けなければ孤児院は潰れ、子どもたちの行く場所が無くなってしまう」と支払えるあえなどないのに、孤児院が必要としている金額をそのまま小切手に書いて寄付したのです。カーネル・サンダース魂のおそるべし!

結果は、不思議なことに団体客が立て続けにカフェを利用してくれ不渡りにならずにすんだそうです。それだけでなく、彼はアルコール中毒者へのボランティアをしたり、時間もお金も人のために使い続けたそうです。そんな彼の人生はどうなったか。不運の連続、立て続けにピンチが襲いました。。。彼のフライドチキンが美味しいと噂になった矢先に火事でカフェが全焼します。しかし彼を慕う常連さんに支えられ、142席に増席してカフェレストランとして復活しますが、今度は州を横切るハイウェイが出来て閉店に追い込まれてしまいます。この時かれは60歳を過ぎていました。

しかしここから彼の逆転劇が始まります。彼の作るフライドチキンの味に感動したピート・ハーマンがレシピを売ることを提案してくれました。

 

【出典 https://www.kfc.ca/our-story

 

約70歳近いカーネルは、車1台で全米中を走り回り、レストランの厨房などでフライドチキンのノウハウを実演してFC契約取る旅に出ます。おじいさんの飛び込み営業はそう上手くいくはずもなく、言われた「NO!」の数はなんと1009回にものぼったそうです!なけなしの年金でガソリンを買い、出費を抑えるために車の後部座席で夜を過ごし、翌朝再び営業にいきました。

この後、彼は奇跡の快進撃を遂げ、見事73歳の時には600店舗を超える規模まで拡大します。70歳を過ぎたカーネルは、経営権を譲渡し、「味の親善大使」として世界中のFC店舗を視察する旅のような生活を亡くなる90歳まで続けました。これが、人のためにお金を使い続けてきた男のラストシーンです。

 

婆ちゃんは彼のこんな人生を尊敬してケンタッキーを食べていたのでしょうか。笑