まいど ソック・サバーイ!
2012年の8月、団体の監査対応のためにカンボジアへ出張をしました。日本国際ボランティアセンター(JVC)、カンボジア・ボランティア・チームの会報誌である「ソック・サバーイ」に出張報告のような記事を書きました。
「そくさばい」ってなんやねん??
「池田さーん」後方からカンボジア・ボランティアチームの近藤さんの野太く低い声が聞こえてきました。振り向くと「あのー、ソック・サバーイ」に原稿書いてくれますか」と一言。んん。そくさ??な、なんやねんそれはぁ!! あかん、自分には標準語は難しいわぁ。「近藤さん”そくさばい”」って何ですか?
JVCは2010年度から外部監査を行っています。今年、8月、私はカンボジア事務所での往査の立会のため、初めてカンボジアを訪れました。そこでは目に映る物、耳にする言葉、食べ物の味、夕焼け時の匂いまですべてが新鮮。でもどこか懐かしく、田舎のばあちゃんの家にあそびに行ったようでした。ソック・サバーイ元気。そう、関西弁の「まいど!」って感じです。
熱狂マーケット
カンボジアのマーケット。その熱気は大坂ミナミのそれとは比べ物になりません。特にその中心、食材売り場を一言で表現するなら「生き物たちの地獄絵図!」カンボジアの人々はタンパク質を魚で取るため、マーケットでは様々な種類の魚が売れられます。それは調理されているより、魚たちがそこで殺され、はらわたを出さえ、売りやすい大きさに切られと、まさに地獄絵図。この光景、道頓堀でもお目にかかれません。特におばちゃんたちが、顔はナマズ、身体は魚の頭を木棒でガンガンと叩き、気絶させ切り刻む姿には関西人も「ほんま」ビックリ! 日本ではスーパーでパック詰めにされた魚、肉が並び、さっきまで生きていた生き物だとイメージを結びつけることが難しいですよね。
他の生き物の「命」頂く
人間が生きているということは、ただそれだけで、数多くの生き物たちの「命」を頂いていることに改めて気づかされました。都会で生活しているとそう感じることなてあんまりありません。孵化前のアヒルの卵を食べながら、東京事務所のカンボジア事業担当の山﨑さんが「池ちゃん、卵でなく命を食べてるんだよ」と。あぁ、自分もこの地球に住む魚さんや豚さんと同じ一緒の生き物なんだなと改めて感じました。
どうしたらええねん?
目的の往査を終えて、カンボジア事務所のスタッフと会計ミーティングの終了後の夕食時。その場所は路地へ向かってテラスが張り出し、端に座ると隣は道路です。小さな赤ちゃんと抱いた女性がテラスのフェンス越しに私に言いました。「Give me money, give me moery」世の中にそういう事実が有るのは知っていましたが、やはり聞いた情報と自分が体験するのでは大違い! 平静に装うも心はめっちゃ動揺。中には物乞いをする人に赤ちゃんを貸し出したり、悲しいことに人の心理を利用するため、わざわざ子どもの足を切って不自由な身体にして物乞いさたり、という親もいるそうです。彼らが集めたお金を地元の胴元がその大半を巻き上げ、彼らが手にするのは、ほんの僅かなのです。
カンボジアの人たちのために働く国際NGOの職員。レストランで食事をするその職員にも物乞いをする子どもを抱いた母親。なんともいえぬこの状況。お金をあげることは自分の罪悪感を和らげるためだけの一時しのぎにしかすぎないのでしょうか。この小さなフェンスがあまりに多くのものを隔てているように感じました。「どう対応したらいいんやろう」と自分の頭ではなく、教科書的な正しい答えを出そうとする自分に自己嫌悪。現地のスタッフは自分の中で、あげるあげないのルールを作っていると教えてくれました。どう対応すべきなのか、自分は何ができるのかを考えつつ、自分はこの業界で生きようと思った日のことを思い出しました。
みんな笑顔で「ソック・サバーイ」といえるように自分は何が出来るんだろう。今日も自問自答しながら東京のデスクで電卓をたたいています。まいどーソック・サバーイ!